
2021年5月に朝日新聞ウェブ論座に「注⽬の新教科「理数」の円滑な実施のために必要なこと~⼩中⾼⽣の⾃主研究の⽀援をしてきて痛感する「指導の難しさ」~」を寄稿しました。「論座アーカイブ」で途中まで読めますが、全文は有料会員しか読めません。論座更新停止に伴い、著作権は筆者にあるので、下記に文章を全文掲載します。
注⽬の新教科「理数」の円滑な実施のために必要なこと
⼩中⾼⽣の⾃主研究の⽀援をしてきて痛感する「指導の難しさ」
2021.5.12
来年度から⾼校で「理数」という教科が始まる
およそ1 0 年に1 度の「学習指導要領」の改定により、⾼等学校では来年度から「理科」「数学」等の教科に加えて「理数」が新設される。これは「理数探究基礎」と「理数探究」との2 科⽬で構成され、「様々な事象や課題に主体的に向き合い、粘り強く考え⾏動し、課題の解決や新たな価値の創造に向けて積極的に挑戦しようとする態度、探究の過程を振り返って評価・改善しようとする態度及び倫理的な態度を養う」ことを⽬標としている。具体的には、⽣徒が個⼈もしくはグループでそれぞれの課題を設定して研究を⾏い発表するのが「理数探究」で、そのために必要な知識や科学的⼿法を⾝につけるのが「理数探究基礎」である。
⽂科省から指定された「スーパーサイエンススクール( S S H ) 」で⾏われていた「課題研究」の教育効果が⾼いことから新設された。必修ではなく選択科⽬だが、2 0 2 4 年度からは⼤学⼊試にも取り⼊れることが求められている。
筆者は2 0 0 8 年度から筑波⼤学において、⼩中⾼校⽣を対象にした科学教育プログラムの企画・運営を⾏い、これまで4 0 0 名以上の⽣徒の⾃主研究を⽀援してきた。肩書にある「G F E S T 」は2 0 1 4 年度からスタートしたプログラムの名前である。この経験から、「理数」の理念の素晴らしさと同時に実施の難しさも⾝をもって知っており、現状のままでの教科新設に懸念を禁じ得ない。⽂科省には、予算の配分や⾼校と⼤学・研究所の連携を促す仕組みの整備などを強く求めたい。
S S H には予算の配分や連携機関があった
S S H とは、国際的な科学技術関係⼈材を育成するため、先進的な理数教育を実施するとして、⽂科省が指定・⽀援している⾼等学校等のことである。平成1 4 ( 2 0 0 2 ) 年度から始まり、学習指導要領によらないカリキュラムの開発・実践などを通じた体験的・問題解決的な学習が⾏われてきた。令和2 ( 2 0 2 0 ) 年度のS S H 指定校は2 1 7 校( 全国の⾼校数は4 8 7 4 校) あり、⼀校あたり年間7 5 0 万円か
ら1 2 0 0 万円が配分されている。
S S H に指定されるためには、それぞれの学校独⾃のカリキュラムを開発せねばならない。そうやって⼿を挙げた学校の中から⽂科省が採択する。学校全体で取り組む意欲と中⼼となる熱⼼な教員がいなければ採択されるのは難しい。採択されれば⼤きな⽀援⾦がくるので、⼤学で使うような実験機材の購⼊や、⽣徒たちの海外研修などが可能になる。また⼤学や研究機関等と連携している学校も多く、⽣徒が課題研究を実施する時に専⾨家のサポートも受けやすい。
⼀⽅、「理数」は教科であるため、⾦銭的な⽀援は想定されていないだろう。そのうえ⼤学や研究機関からのサポートも簡単には受けられまい。S S H の場合でさえ、⽣徒を研究室で受け⼊れている研究者から「⾼校の先⽣は丸投げ状態なので負担が⼤きい」といった声を何度も聞いており、連携の難しさが垣間⾒えている。
「理科」と「理数」の⾼校教員の負担の違い
⾼校の理科の授業ではこれまでも実験が⾏われてきたが、これは教科書などに載っている実験を全員が同じように⾏う「理科の実験」である。「理数」では⽣徒が個⼈もしくはグループで個別の課題を設定し、その課題を解決するための実験を⾏う。それぞれ別の実験の指導をしなければならず、⼿間がかかることは容易に想像できるだろう。
しかし、教員( 「理数」を指導するのは「⾼等学校の数学⼜は理科の教師」)にとってそれよりもっと負担となるのは、⽣徒たちに適切な課題を設定させることである。これまで多くの⾼校⽣の⾃主研究を⽀援してきた筆者は、⾼校⽣⾃⾝に課題を考えさせることの難しさを痛感している。主体的に探究活動を推進していくためには、⽣徒たち⾃⾝の想いを⽣かした課題設定をすることが必須である。しかしながら「環境問題に取り組みたい」「宇宙の始まりについての研究をしたい」といった漠然とした想いだけで⾃主研究を始めようとする⾼校⽣は少なくない。
現時点でどこまで研究が進んでいてどのようなことがわかっているのかを知り、⾃分の⼒を客観的に判断して課題を設定できるのは、⼀部の⽣徒に限られる。多くの⽣徒は、教員のサポートを必要とする。限られた授業時間の中で、多くの⽣徒に適切な課題設定をさせることは容易ではないはずだ。
おそらく来年度から「理数」を始めるのはS S H 指定校などの⼀部の⾼校に限られるだろう。だが、⽂科省の教育課程部会「⾼等学校の数学・理科にわたる探究的科⽬の在り⽅に関する特別チーム」の取りまとめでは、⼤学⼊学共通テストや個別⼤学の⼊試で「理数」への取り組みを評価していくことを求めている。また、2 0 2 0 年度から新学習指導要領となった⼩学校の理科の教科書はいずれも最初に「⾃分でテーマを⾒つけて、研究をして、まとめよう」という内容が記載されている。こうした点から⽂科省は今後、多くの⽣徒に課題研究をさせる⽅向にあると考えられ、⼤学側も推薦⼊試等で⾼校⽣の⾃主研究を評価するところが今後さらに増えていくだろう。結局、次第に多くの⾼校が「理数」に取り組まざるをえなくなるだろう。
⽶国では⼩学⽣の頃から課題研究が盛ん
アメリカでは、⼩学⽣の頃からプロジェクト学習として課題研究を⾏うことが
多い。研究を発表する「サイエンスフェア」も盛んである。
毎年5 ⽉に開催される「I n t e r n a t i o n a l S c i e n c e a n dE n g i n e e r i n g F a i r ( I S E F ) 」は、世界最⼤の⾼校⽣のためのサイエンスフェアである。世界8 0 カ国・地域から2 0 0 0 ⼈ほどの⾼校⽣が集まり、それぞれの研究を発表し、それぞれの分野の専⾨家である審査員に評価される。⽇本からも「⾼校⽣・⾼専⽣科学技術チャレンジ( J S E C ) 」と「⽇本学⽣科学賞」での⼊賞者が派遣されている。
⽇本を含む参加国の多くで、I S E F で活躍すると⼤学の⼊学資格や奨学⾦を得ることができるという「実益」もあり、予選参加者は全世界で7 0 0 万⼈にものぼると⾔われる。アメリカでは州のサイエンスフェアで⼊賞すると、州⽴⼤学への⼊学が認められることが多い。
学⽣や⾼校教員の意⾒は
「理数」を教科として新設した⽇本は、⼤学⼊試も「課題研究に取り組んだ実績」が評価されるように変わっていくと筆者は思う。そこで⾼校時代に⾃分⾃⾝で決めた課題で研究を⾏っていた⼤学⽣たちに、「理数」の新設についてどう思うかを聞いた。
「⾼校の先⽣が課題を決めて、⽣徒たちにやらせるという学校が多くなるのでは︖ 」「⾃分たちがやりたいことよりも、先⽣が指導可能な範囲でやらされるに違いない」「受験⽬的でやるので実験を失敗したくないという思いが強くなり、新しいことに挑戦しなくなると思う」など、理念通りにはいかないだろうという回答がほとんどだった。
またS S H ではない学校の⾼校教員に「理数」を⾃校で⾏う場合の不安な点についてアンケートをすると、「⼀部の教員の負担が⼤きくなる」「適切な指導ができるか不安である」「どのように評価すればいいのかがよくわからない」といった回答を得た。
⾼い教育効果を得るために必要な3 つのポイント
教科書に載っていることを学ぶのではなく、教科書に載っていないことについて⾃分⾃⾝で探究する「理数探究」は、⾮常に画期的な科⽬である。しかし、上記のような不安の声の⽅が⼤きい現状で、期待通りの⾼い教育効果が得られるとは思えない。では、どうすれば良いのだろうか。
⽇本国内の科学コンテストでは、「⼊賞常連校」のような学校がある。これらの学校では、課題研究の指導に秀でた教員がいることがほとんどである。教科として導⼊する以上、そういう教員がどの⾼校にも必要となる。さらに教員へのサポートも必須である。そのため、⽂科省に次の3 点を求めたい。
① 指導に当たる⾼校教員への研修の実施と博⼠号取得者の教員への採⽤
これまでの教員養成課程では、課題研究の指導法を学ぶことはほぼなかった。⽣徒たちへの指導は、教員⾃⾝の研究経験が鍵を握っていたといえる。⼤学の理系学部でも、⾃分なりにテーマを考えて研究を実施するのは修⼠課程からで、⾃分独⾃の研究を⾏うのは博⼠後期課程になってからだろう。⾼校の理科教員のうち⼤学院修了者は4 割程度であり、そのすべてが課題研究の指導が得意なわけでもない。彼らも含め「理数」を担当する⾼校教員には課題研究指導についての研修を⾏うべきだと考える。
また、博⼠課程修了者を理数担当教員に採⽤するといった施策も有効だろう。
② 研究者の⽀援を評価する仕組み作り
S S H の多くは課題研究の発表会で⼤学教員等の研究者に審査を依頼している。⽣徒⾃⾝が主体的に研究を進めたか、課題に対する理解はどの程度であるか、研究としてどの程度評価できるのかなどは、⾼校教員では評価が難しい。研究アドバイザーとして⼤学教員や⼤学院⽣を配置しているS S H もある。
しかしながら、研究者にとって⾼校⽣への⽀援は、時間が取られるにもかかわらず⾃⾝の評価につながりにくい。これでは、⽀援する研究者が増えない。研究者が⾼校⽣の研究⽀援をすれば研究者⾃⾝の評価が上がるような仕組みが必要である。
③ 実験機材やサポート⼈員の費⽤の配布
実験を⾏うには、実験機材や試薬などに費⽤がかかる。S S H の卒業⽣からは「⾼価な実験機材はあっても、先⽣が使い⽅がわからず放置されていた」という証⾔も聞いている。せっかく実験機材を購⼊したら、外部から積極的にアドバイザーを招いた⽅が良い。招くにあたっては交通費の⽀給なども必要になる。つまり、「理数」の実施にあたっては、⾦銭的な⽀援が⽋かせないのではないだろうか︖
C O V I D – 1 9 の感染拡⼤により、世界中のすべての⼈が、前例がなく予測困難な時代に⽣きることになった。「理数探究」が⽣徒たちの主体的に考える⼒や挑戦する意欲を育成する科⽬になることを切に願う。